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六本木ミッドタウン傍です。
考えるということは、答えを求めるということじゃないんだ。考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものと化すということなんだ。どうしてそうなると君は思う。謎が存在するからだ。謎が謎として存在するから、人は考える、考えつづけることになるんだ。
「あんたなんか死んじゃえ」という言葉は、他人を傷つけているようで、じつは自分を傷つけている。刃物になった言葉が、自分の中で、自分を傷つけていないはずがないじゃないか。
しかし、自分を認めるために、他人に認めてもらう必要はない、空しい自分が空しいままに空しい他人とつながってなんで空しくないことがあるだろうか、人は他人と出会うよりも先に、まず自分と出会っていなければならないのである。
しかし、我々の日常とは、よく考えると、明日死ぬ今日の生、その連続以外の何ものでもない。なのにどうして人は、言葉を求めずにお金を求めるのか。世の中が息苦しくなっているのだって、言葉が汚れ、汚れた水の中で生きていられなくなっているからに他ならないのですよ。
しかし私は死んだ経験がないから「生命」という経験を何との類比においてそれとして意識内にさだめることができるのかがわからないのである。躍動感、自由感、生き生きと持続する感覚、といったところで、「死んでいる感覚」を経験していない限り、この定義はトートロジーだ。
池田晶子